いまこそ「想像する力」が問われている という話
韓国の大統領が「非常戒厳」を宣布・解除し、国内が混乱に陥っているようです。大統領は検察官出身の政治家とのことですが、日本では検事正が女性検事への性的暴行で、事実を認めた後に否認に転じていることが報道されています。自分の行為の結果を認めず、正当化する点が共通しているように思えます。
ハン・ガンさんが光州事件を描いている国にあっても、そうした想像する力が欠いた人が権力を握る事態を見ていると、権力を持つということ、人を裁くということを「仕事にする」人には、その権力に意識が取り込まれる自覚を持つ必要があるのかもしれません。国の長と地方検察の長ですから、組織の問題というより、違う国で同じ仕事をしている人が(誰が見ても)「恥ずかしい生き方だ」と思われるような行為の報道を見て、そう考えてしまいます。その力を持つために歴史上、どれだけの血や涙が流されたのか、知識は持っていても生き方に反映されていないのでしょう。
医療という現場では「死ぬかもしれない」事態が仕事に織り込まれています。つらいことですが、人の「最後の姿」を見届ける役目を担うということは「自分の死」について考える機会になります。死ぬ直前、権力や資産といった「評価」は何の意味も持たず、自らがどのように生きてきたか、自らで答えを出すことが求められます。職業人としての決定が「他人の人生に関わっている」ことが見えなくなる、そうした仕事への恐れ、想像する力の必要性を感じます。