友人が経験した個人的な体験
友人から聞いた話です。
都内の病院で呼吸器科医として勤務していた友人は、救急搬送された、ある気胸患者の担当になりました。
聞けば来週大学入試があるとのこと。「彼」は入試までに治療が終了するか心配していたようですが、友人は社会にでればこんな事はいくらでもあるし、死ぬわけではないから、受験時代の思い出になればいいね。などと話をしました。肺は無事に膨らみ、「いろいろありましたが、試験をがんばります」と言い退院しました。
4月、気胸が再発し、「彼」はふたたび患者となりました。入試が無事に終了したこと、大学には合格したが、入学したのは希望の大学ではなかったことなどを教えてくれました。
今度は手術となり、肺は無事に広がりました。幸い反対側には気胸を起こしそうな病変は無く、今後、彼の人生で気胸が大事な仕事を棒に振る原因になることはなさそうでした。
救急スタッフの間では、入試直前に気胸になった(あわれな)男としてすこし有名になっていました。友人は気胸は残念であったが、無事に大学に入れた事を喜び、すでに手術をして、再度の気胸の心配はこれからはないことを励ましました。
「彼」も笑って、いい経験であったと言い残し、退院していきました。
退院から数日後、都内に出ていた「彼」は、事件に巻き込まれ、帰らぬ人になりました。友人にとって治療に関わった方が殺された経験は初めてで、しばらく呆然としていたそうです。
入試シーズンや事件報じられると、今でも友人は「彼」の話をします。
加害者の青年も、病気と向き合う時間や医療とかかわる機会があれば、また違った人生をおくれたのかもしれない。殺された「彼」の想いが分かるまで、生かされている気持ちを持ちながら罪を償ってもらいたいと思っていると話していました。
しかし、この事件の加害者には死刑判決が下り、数年前に刑は執行されました。
病気や災害による死も、悲しく、悔しいものですが、「殺意により命を奪われる」無念さは、どれほどであったか。
命を奪うのはほんの一瞬のできごとでしょう。友人を通じて「彼」と少しだけ接点を持った人間として、体を治した役割を担当した医師として、生きていることは「当たり前ではない」ことを心に刻む出来事でした。
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一部事実を修正して記載しています。