「手を貸すこと」は普段の備えがあってこそ
今年の夏は地震注意や迷走台風でなやまされました。
災害救助で自衛隊の活躍が報じられています。国難に近い災害の現場では食糧や野営まで自力展開できる自衛隊の力は大きいでしょう。
「手を貸すことが最善ではないかもしれませんよ。警察や消防が自ら経験する場を奪っているかもしれませんから」
OBの方が「個人的見解ですがね」と前置きしておっしゃった言葉が印象的でした。以前は「災害派遣要請」を首長が出したがらず、救命に遅れをとっていたようですが、活躍が報道されるにつけ、本来警察や消防で即応していたような課題に災害要請が出ていないか、隊員は全力を尽くしているだろうが、長期的に見て本当にそれが地域の防災につながるのだろうか?とのことでした(実際の要請は大臣の承認が必要)
医療の考え方と似ていると感じます。喘息など「発作」で苦しい思いをする患者さんと我々は向き合いますが、(タバコを止めるなど)そもそも発作を起こさない生活を知る、(めんどうでも)発作を起こさないような日々の服用を続ける、それでも発作が起きてしまったら、その時初めて即効性のある薬を使うべきだとお伝えしています。最初から「すぐに効くから」と言う理由で即効薬を使い続けているなら、いつまでたっても症状は改善しませんし、長期的には重大な副作用が出てしまう事もあります。ちなみに喘息即効薬も「レスキュー」と呼ばれます。
疾病と行政防災を同一で考えるのは酷かもしれませんが、手を貸す意味を思わず考えた一言でした。
※参考文献 ライジングサンR 14巻 双葉社