命の選択について考えたこと
日本生殖医学会からコロナ流行に伴う「不妊治療の延期」についてコメントが出され、命の選択ではないか?との議論を見ました。
学会からの声明文を読みました。現在のような流行状態であれば、母体、新生児とも感染症から守れない可能性がある、自然妊娠は制限しようもありませんが、治療による妊娠については延期が望ましいとの内容でした。
ある意味命の選択と見える内容ですが、生まれてきた命の選別ではなく、誕生が命の危険にさらされる可能性が高いとなれば、受精そのものを遅らせ、これを制御しようとする声明と読み取れました。「治療」に近い勧告であり、倫理的にも問題ないように思えます。(「どこからが命」なのかとの議論は残りますが)
一方で、新型コロナでの「人工呼吸器装着」については、命の選択そのものです。助かる見込みのない人には装着せず、若い人、助かる可能性の高い人に装着する選択を、(諸外国の)現場の医師が担っているとすれば、トラウマになるレベルのストレスであろうと思われます。
総理大臣から各家庭に2枚のマスク配布が4月1日にニュースとなって流れてくる中、そんなことを考えています。政府方針を待つのではなく、専門家による勧告に耳を傾ける、他人との接触を極力避ける、自分で考えた行動が求められていると感じています。